第一通【I'm being X-4】 [手紙]

【I'm being X-4】


 ハーイ!迷惑を考えず何か書きたくなって書き始めちゃいました。昨日の午後3時ごろから今(午後1時です)まで、ズーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと中村とうようさんの『地球が回る音』というブ厚い本の中にドップリ浸かっちゃっていて、少し正気になって、アフリカのユッスー・ン・ドゥールを聴いてみるかなんてね…うーん、確かに精神的に疲れた時とか心地好いかも知れない。環境音楽とか言うのも、こんなのかな?

 ブライアン・イーノって人も作ってます、なんたら音楽ってのをね。彼は、U2のアルバムのプロデュースをしているので名前だけは知っているんですが、別に聴きたいとも思わないので個人的な曲は知りませんが、とうようさんは、紀元1000年~2000年は《白人=キリスト教文化》の成長→熟成→退廃期だったけれど21世紀以降はアフリカなどの《有色人文化》が、それに取って代わるだろう、まあ、サハラ文化やマヤ文化などのように地域的なものでなく、白人のそれは余りにも地球規模で巨大に成りすぎたので、それを覆すことが果たして出来るだろうか、そう見えて成し得ないまま萎んでしまうかも知れないが…と予想していて、有色民族の音楽に高い関心を持っておられるんですが、それで何度かブライアン・イーノの名前が出て来ました。あ、イーノさんって人は白人なんですけど、環境なんたら的にとうようさんと同じ方向で、サウンドがアフリカ的なんだろうと思います。

 ってとこでBGMをドゥールさんから他のに変えます。テープだから分からないけど多分2曲目になってるんじゃないかな、ウルさくなってきたので!私のお肌に合わない…テープのB面に古いR&Bを入れてあるのが良いですねぇ。でも、とうようさんに言わせればR&Bもアフリカです。確かに混ざってますけどね。

 人は好き好き。私はアフリカよりもWHITESNAKEのHMだかHRだかって頑固なサウンドの方が、精神的、肉体的に疲れた時に休まります。聴いているうちに夢も見ないような熟睡に誘ってくれるんですねぇ。U2やSKID ROWもですがなんと言っても1番はGN’R。私だけかと思ってたら、テープを2本くれて、昨年の『Use Your Illusion』を心待ちにする程のファンにしてくれた若が同じで、途中で必ず寝ちゃうんだって。彼曰く「心地好いのかなぁ?」。同感!

同感!なぜ心地好いのかはいまだに謎だ!

この『地球が回る音』って本は、1960~1990年代の音楽批評などで、日ごろイマイチ解らなかった’50~60年代の音楽の変換、時代背景、そしてブルースやジャズなどに関するものの殆どを理解する事が出来ました。

“音楽”に深く関われば関わるほど表題の“地球が回る音”を聴いちゃって、地球をグルグル回っちゃうんですねぇ…ところで、この《回る》という言葉は英語の《around》にあたるんですね。

   回る=around…1ヶ所でグルグル回る

   廻る=round…グルーーーーっと廻る

でもアメリカでは最初から《around》を使い、イギリスでも区別しなくなったそうです。日本でも《廻船問屋》なんて言葉に残ってるだけで、普通は《回る》しか使いませんね。世界は1つ、と言われる現代は、地球をグルーーーっと廻るのも簡単で1ヶ所で回ってるのと同じ感覚から《around》や《回る》だけになっちゃったんでしょうか?

 なーんて事を、ふと思ったのが《地球の回る音・廻る音》及び《地球を回る音・廻る音》を意識してグルグル回り始めちゃったのかも知れません。回っている積もりが宇宙の起源まで廻ってっちゃって目を回してます。メニエールって病気は周りが廻るんですけど、発作の時に自分の瞳を見ると確かに回ってるんで笑っちゃいましたね!ん?また違う方向に廻ってっちゃいそうだ…

 で、その《廻る》をROCK N'ROLLの《ROLL》に重ね合わせてみたんですが、とうようさんはその辺については全く触れていないので気がついてないか又は問題外視しているのか…でも世界の民謡については大分詳しくなりました。

 アフリカの《死感》というのは、生物は生を受けてから段々と死に向かい、死んだ後も人々から思い出されたりしているうちは未だ生きていて、みんなから全く忘れ去られた時に初めて“ホンモノの死”を迎えるんだそうです。ひたすら死に向かう思想ですね。でも、とうようさんはそうは捉えずに、ブルーズもマイナスの極致から逆にプラス・エネルギーを持ったものになったと見ています。逆転の発想的ですね。

 資本主義に踊らされて《生》を持たない健康な(社会的・道徳的・肉体的に)音楽を演っている人達よりは、例え体は死んでいても(ドラッグで)、ジム・モリソンやジミ・ヘンドリックスの音楽には《生》を感じた…と、私とは正反対の捉え方をして居られます。私は彼等の音楽からは、ひたすら《死》に向かうものしか感じられなかった。消え入りそうなものしかね…事実、消え入ってしまいましたが、その歌はまだ人々の心に残ってるんですから、本当に死んではいないんですねぇ!それが“恐い”と、私は思ってるんですけど。体という物体が在るうちから“魂”だけだなんて不気味ですよね、ロクな魂じゃないと思いませんか?じゃ、体さえ光っていれば心はどうでも良いのか、とか言われるとぉー…SFの中に良く出て来る、存在感だけで姿が見えない宇宙人の方がまだ良いですね。見えるうちから無いなんて、何だか霊能者が幽霊を見てる世界ですよね!

私はここではとうようさんに賛同します!なぜ昔から消え入る人ばかり好きなのかわかりませんが…《生》を感じたければ《死》に向き合え!ということなんでしょうか?

 そんなこんなで、私は自説を曲げる気はない!アフリカも好きじゃない!でも今朝TVで見た、アフリカの竹で作った弦の竹の楽器の音色はとっても綺麗だった。
 白人文化は有色民族(特に黒人)の文化などを盗んだ、というか搾取して繁栄したんだってのは否定出来ないものが大いに有る。でも細かく見ると日本だって秀吉の頃から、しかも同じ黄色民族のものを搾取している歴史を、私は、無視出来ないなぁ。とうようさんも《白人=キリスト教文化》にばかり白い目を向ける前に、少しは考えた方が良いんじゃないか?なーんて思ってしまいました。
 『地球の回る音』、つまり言い換えれば『音楽は地球を回る』の図も私の見解とはちょっと違っていました。とうようさんはアフリカの音楽が白人に搾取されたという考えから①に《アフリカ→イギリス及びアメリカ》としていますが、私は物語の中で悠に①《イギリス→アフリカ》、②《イギリス+アフリカ→アメリカ》として語らせています。欧州がアフリカを植民地とした時、文化も一緒に持って行った訳でそれをアフリカが取り入れて融合させ、奴隷としてアメリカ大陸方面に連れて行かれた人達が持って行った。そしてタンゴだとかルンバだとかブルーズだとかになった。その時も、その土地のものと融合させて。
 物質的なもの、目に見えるものは確かに白人が黒人のものを盗んだかも知れないけど、目に見えないものを、黒人は白人から吸収して自分達のものとして行ったと思います。だから汚染(!?)される前は、在る所で有るものをそのまま受け入れ、自然体で過ごしていたと思われる黒人が、「いつか這い上がってキャデラックに乗ってやるゾ!」なーんてね?
 なんてことを言って、とうようさんの本にケチをつけるためにペンを取った(?)ワケじゃないんだよねぇ…BON JOVI聴きましたか?酒井氏は非常に辛い点をつけていました。副編集長の広瀬氏が何となく私の好みと似ていて、今回も誉めていました。特に④⑤⑦が素晴らしいってのはピッタリ一致しました。伊藤氏はアルバム解説で「今後の活躍に期待する!」。同感!
 私が「リッチー・サンボラのお人好しサウンドを無視して」と感じたものは酒井氏も同じだったようで「BON JOVIをバックに従えたジョンのソロ・アルバム的色合いが強く、フレッシュさも皆無。(中略)リッチーのプレイのみ光っている」だって!ん…好きな人ってのは、どんな人混みの中でも探し出せるんですねぇ。
 この『BURRN!』を愛読していて、私は初めて《素晴らしいものを素晴らしいと認めること》と《好き》ってものが違うのを知りました。酒井氏の素晴らしいアルバム解説に魅せられて、その最後に「BURRN!」って書いてあるのは何だろうと思っていたら、HM/HRの専門誌だって事が分かって、2~3ヵ月迷ったんですけど(なにしろ若者のものって感じがムキ出しですからねぇ…)、息子に頼んで買って来て貰ったのが丁度1年前の12月号でした。
 その後、どうも酒井氏の批評とは違うのを感じ始めて読むのを止めようかと思ったんですけど、その姿勢とか解説の仕方とかは矢張り素晴らしいんですよねぇ。で、続けているうちに、アドバイザーの伊藤氏や、副編集長の広瀬氏の曲の好みが似ているんじゃないかな?と思い始めて来ています。
 DEEP PURPLEは素晴らしい。WHITESNAKEは好き。てな具合に世間の事柄も、認めるものは認めるっていうふうに変わって来ました。前の私だったら「イヤなものはイヤ!」でした。まだ完全ではありませんけどね。
 とうようさんのブ厚い本も、何だかんだと文句をつけながらドップリ浸かって読み上げちゃいましたねぇ。知識がギッシリ詰まった気がする。気が…!
 1970年代の音楽とか世相について書かれたものが、今現在のものじゃないかと思えるほどピッタリしているのには改めて驚きました。「変見の表」が間違っていない証明で嬉しかったけど、1995年を考えたら恐かった。70年前後は、アーティストなどがドラッグでバタバタ死にましたけど今回はエイズでしょうか!?
(中略)
 アフリカの音楽はひたすら縦揺れでした。縦揺れというよりは上下の飛び跳ね、でしょうけどね。とうようさんの言うようにアフリカが復活すると、ひたすら死に向かう地球になってしまいそうで…そうそう!有色民族と言えば一昔前、ビートルズ辺りの影響でしょうか、インド文化が騒がれました。なんたら言うインチキ屋に騙されて、ビートルズが熱心にインド音楽などを研究したんだそうで。そのうち、インチキってのが解って止めたとか…だろうなぁ。彼等の音楽に輪廻転生の意識は合わない。そして何となくインド音楽ブームが下火になったのもインド・ヨーロッパ語族を考えれば簡単です。同じなんだから、わざわざ研究する事も、ない!
 とうようさんのアフリカは、有色民族ってのでインドネシアを非常に高く評価していました。インドと近いんですよねぇ、世界地図は苦手なのでハッキリどの位置ってのは知りませんが。その辺り違うのか同じなのか、またあの『日本語の起源』を引っ張りださなきゃ…めんどくせぇなぁ。インドネシア民謡ねぇ…
 ルーマニアの民謡ってのは、正しく日本の大工さんの“木遣り”。どっちがルーツか知りませんけどね。揺れもリズムもローリングも何もない。唯々声の張り・艶を延々と延ばして聴かせる。バグ・パイプだけの曲も全く同じでして、どっから何処までが1曲なのか機械が教えてくれないと解らない!その点はヘヴィ・メタルと似ていますね。モンゴルの民謡を聴こうと思ったんですけど、考えてみたら私の探しているロールは“船出”のロールなんですよねぇ。海の無いモンゴルに有るワケがないってんで急遽、黒海辺りに期待してみたんですが、
♪―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
これじゃね!何と言ったら良いか?フランスの民族音楽を研究している学者が《ワールド・ミュージックの元祖》と太鼓判を押してるんですけど、確かに“ヘソ”です。ここから広がって行くうちに地域的環境から、縦揺れや横揺れやら回転やら廻転が付随して行ったのでしょうかね?
 取り留めのないものを書いてしまいました。今日はこれで。

PS;インドネシアは《マライ・ポリネシア語族》でした。アフリカのマダガスカル島が本土と違って、同じなんですねぇ…ヘンなの!まあ、世界の大陸が出来た時は南極に1つの固まりになっていて、その後だんだんと移動して行ったのを考えれば確かに切り抜きみたいに繋がるけどね。
 インダス文明はアーリア人に征服される前、紀元前2500~1500年ごろ栄え農業・牧畜・青銅器・陸上交通には2輪の牛車・商人たちの船はインダス川はもとより、アラビア海沿岸の海路をも往来した…云々。うーん…調べてみたいけど《しかし、この文明についてはわからないところが多い》だって!アーリア人が自分達の生活様式とは異なるために都市文明の多くを継ぐことが出来なかったそうです。それがインダス文明が衰えた原因ではないか?と言われているそうです。
 アーリア人は中央アジアに住んでいて、ギリシャやラテン語と似たサンスクリット語を話し、半農半牧、部族単位で戦闘集団を作り、戦術には機動性があったとか。何となくチンギス・ハーン的ですなぁ…
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